言いたい事が言えない忖度
かなり前のニュースで忖度について度々あげられていた。
忖度とは他人の気持ち推し量る、又は推測する事らしい。
私たち日本人は子供の頃から協調性が大事だと教わって、周りの意見に合わせてきた。
意を決して、違う意見を言おうものなら白い目でみられたり、浮いた存在として扱われる事もあった。
そういう人達は空気が読めない人「KY」と呼ばれていた。
「忖度」という言葉が話題になってから「KY」という言葉が忘れ去られてきた。
そんな中、 先日、東洋経済オンラインの記事で面白い記事を見つけた。
記事を読んで、なるほどと関心する事がしばしばあった。
ドイツでは我々日本人が持つ美意識で他人を尊重するという事がなく大半は個人主義だという。
また店員はお客に対してへりくだらず、堂々としている等々と書かれていた。
確かに、いい人と思われたいが為に相手を気遣って相手に合わせたり、「お客様は神様」だと言って強要する人達に我慢して期待に応えるのは正直疲れる。
他人を尊重する事はいい事だと思うけど、もう少し自分に優しくしてもいいのではないだろうか。
優しくするということは自分を甘やかすのではなく、ありのままの自分を受け入れて、自分のいいところを磨いて、自分を伸ばしていく事だ。
誰だって褒められたら嬉しいし、自分の欠点ばかりみていたら自分はなんて駄目な人間なんだろうと自信がなくなる。
自分の人生はたった一回しかないのだから、他人を優先して自分を押し殺していたら一生、奴隷の様な生き方しかできない。
だから自分を第一に優しくしてあげれば、自ずと相手に優しくできるのではないだろうか。
少しくらいはみ出してもいいので、自分に素直に生きてもいいんじゃないかな。
拙い文章ではございましたが、最後まで読んでくれてありがとうございます。